Mut (Maut, Mwt) はテーベ(ワセット、上エジプト第4ノーム)の母神であった。
ムートは女性として描かれ、時には翼を持ち、またハゲワシとして、通常は王族の王冠(エジプトの二冠や新王国の女王のハゲワシ頭飾りを被っている姿)が描かれることがあった。 時には男性の姿で描かれることもあったが、これは彼女が「産むが、自分自身は何からも生まれないムト」であることと、実際にはオスのグリフォンハゲワシは存在しないという迷信によるものだった(オスはメスとほとんど同じ姿をしている)。 後世、ムトは牝ライオン、牛、コブラの頭を持つ女性として描かれ、他のエジプトの女神の属性を受け継いだ。
ムトは中王国時代にアメン以前の妻、アマヌエット(見えない女神)に取って代わった。 ムトは原始時代から存在し、原始の水であるヌンとともに存在していたと考えられている(おそらく、水の中に住む古代のオグドアド(大八神)の神の一人であったアマウネに取って代わったためであろう)。
当初は地元の神として崇拝されていたが、新王国時代に夫であるアムンが第一の国家神となると、神々の女王として脚光を浴びるようになった。 テーベがエジプトの首都となり、テーベの神々が国神となったのである。 その結果、ムトは国家の母である女王とも密接な関係を持つようになった。 特に第18王朝と第19王朝の女王たち、とりわけファラオ・ハトシェプストとラメセス2世の主席夫人ネフェルタリ・メリトンムート(「ムトに愛されしネフェルタリ」)には人気があったようだ。
夫のアムンが太陽神ラーと合体してアムン・ラーとなると、ムトは「ラーの目」(セクメト、ハトホル、テフヌート、バスト、ワジェットなどにも関連する称号)を受け継ぐことになった。 ラーの目」とは、太陽の猛烈な熱を体現したライオンの姿をしたラーの娘である。 しかし、ムトは「彼が昇る太陽の母」でもあり、太陽神の母であり娘であった。 もともとモントゥ(テバンの戦いの神)は彼らの息子とされていたが、コンズ(月の神)に取って代わられた。
テバンのアメン、ムト、コンスの三神は、ルクソールのアメン神殿(イペト・レシト)で祀られた。
ムトはイシスやヌトなど他の多くの女神とも密接に関係し、多くの複合神の一員として崇拝された。 イシス、ネクベトとともに「偉大なる母なる女神ムト=イシス=ネクベト」と呼ばれる神を形成していた。 獅子足、勃起したペニス、3つの頭(ミンの二重羽毛の頭飾りをつけた獅子の頭、エジプトの二重冠をかぶった女性の頭、下エジプトの赤冠をかぶった禿鷹の頭)を持つ翼のある女神であった。
彼女はバストとセクメトと共に、セクメト・バスト・ラーというもう一つの三頭神(羽飾りをつけたライオンの頭、二冠をかぶった女性、二重羽飾りをつけたハゲタカの頭)であった。 死者の書』では、この姿で死者が乱されないように守っていると記されている。
新王国時代のテーベでは、最も人気のある祝日のひとつがムトの祭礼であった。 女神像が船に乗せられ、「イシェル」(カルナック神殿にある小さな三日月型の聖なる湖)の周りを航行したのである。 また、新年の祭りには、アメン像がルクソールの神殿からカルナックに下りてきて、彼女を見舞うという祭りもあった。
「フト・ムト」(「ムトの領地」)神殿は、アメンラーの大神殿の南側に位置し、スフィンクスの並木道がそれに沿っていた。 そこで彼女は「イシェルの大いなる女神、天の女神、神々の女王ムト」として崇拝された。 不思議なことに、この神殿にはハゲタカの姿をした彼女の表象はほとんどない。 しかし、西岸にあるアメンヘテプ3世の葬祭殿から運ばれてきたと思われる「ラーの目」セクメトの姿で描かれたものは数多くある。 この神殿は、当初ハトシェプストとトトメス3世によって設立され、その後セティ1世、ラメセス2世、ラメセス3世、タルカ王(第25王朝)により拡張されたと考えられている。
参考文献
- The Complete Gods and Goddesses of Ancient Egypt (2003) Richard H. Wilkinson
- Egyptian Mythology (1997) Simon Goodenough
- Gods of Ancient Egypt (1996) Barbara Watterson