専門家ではない人のための定数入門
はじめに | 1900 – 1920 | 1920 – 1940 | 現在 | (インデックス) |
20世紀半ばから基礎定数分野は急速に発展し、第二次世界大戦以前の測定はほとんどすべて歴史的といえる(方法はともかくとして。 少なくともその結果については。) 実際、20世紀に入る頃までは、定数の測定はほとんど行われていなかった。なぜなら、物理学の近代が始まるのは、その頃からだからだ。 相対性理論、原子物理学、量子論はすべて1900年以降に生まれたものである。 1920年頃までに行われた歴史的に重要な測定は、以下の2つである。
素電荷(e)
基本定数を高精度で測定する初期の実験の1つであり、異なる方法で基本定数を正確に決定することが、特定の物理現象の理解の向上につながる例として、アメリカの物理学者ロバート A. ミリカンの基本単位である電荷(e)測定がある。 1907年頃から1917年頃まで、彼は、現在では有名な油滴実験を行い、eを決定した。この方法は、水平で平行な2枚の金属板の間を空気中で動く帯電した小さな油滴(滴の電荷は通常数e)の変位(既知の電圧を加えた場合と加えない場合)を時間の関数として追跡するものであった。 そして、さまざまな液滴を観察し、他の関連する量、特に空気の粘性(流れに対する抵抗)を知ることによって、基本定数eの値を計算する。 ミリカンの最終的な値は、1917年に報告された。 (4.774 ± 0.002) x 10-10 esu (esu は静電単位で、センチメートル・グラム・秒単位系における電荷の単位の 1 つ。この cgs-esu 系は SI 系が一般に採用される前に広く使用されていた)
この値が著しく間違っていることは、1930年代に、新しいがeの値を得るための間接的方法が開発されたことによって明らかにされた。 この方法は、アボガドロ定数 N (1モルに含まれる原子または分子の数。グラム単位の質量は物質の原子量または分子量に等しいと定義される) とファラデー定数 F (溶液に含まれる1価の電荷を持つ元素 1モルを電解析出させるために必要な電荷量) を個別に測定するものであった。 この2つの量は、ファラデー定数はアボガドロ定数に電荷の単位をかけたもの、つまりF=Neに等しいという簡単な方程式で結ばれている。 したがって、e=F/Nとなり、ファラデー定数とアボガドロ定数の2つがわかれば、定数eは容易に求められる。
アボガドロ定数(N)は、岩塩などの特定の結晶種の密度、分子量、結晶格子間隔をX線法で測定して決定したものである。 ファラデー(F)は、物質を含む溶液に既知の電流を既知の時間流したとき、電極に電解析出する物質(例えば銀)の質量を測定することにより求めたものである。 こうして得られた素電荷(e)の間接値は(4.8021 ± 0.0009) x 10-10 esuであり、ミリカンの値とは大きく異なっている。 この不一致の主な原因は、1930年代後半にミリカンが誤った空気の粘性係数を使っていたことにある。 ミリカンは、ほとんど弟子の測定値をそのまま使っていたのだが、その弟子が微妙な実験ミスを犯していたことが、後に判明した。 ミリカンのデータを、正しく決定された空気粘度の値で再評価したところ、得られたeの値はファラデー定数とアボガドロ定数から計算された間接的な値と一致した。
この事例は、実験的に決定した定数の値が決定ごとに変化する一般的な事実の一例であるが、実験と理論の誤りを示す重要な手がかりは、定数の測定数値のこの決定ごとの変化だけであることに気づかねばならない。
プランク定数(h)と素電荷(e)の比、h/e
比h/eの最初の精密決定は、光電効果を利用しました。 もし、電子が表面から離れるのをちょうど妨げられるような遅延電圧(電位)を金属にかけると、光の波長、電圧、比h/eの間に独特の関係が存在することが示される。
h/e比を決定する第二の方法は、連続X線スペクトルのいわゆる短波長限界である。 この方法では、電子ビームを既知の電圧で加速し、金属ターゲットに衝突させる。 電子ビーム中の電子の電位エネルギーが1つのX線光子に変換されると、最大エネルギーのX線(すなわち、最も高い周波数または最も短い波長を持つX線)が放出される。 その電圧とX線の波長を測定することで、h/e比を求めることができる。 この種の最初の精密測定は、1921年に報告された
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